「U理論」は自分自身にせよ、特定の誰かとの関係性にせよ、所属する組織にせよ、もっと大きな集団にせよ、それを変革しようともがくビジネスパーソンなら誰もが多くの示唆が得られるとても重要な本です。
著者はMITのC・オットー・シャーマー博士です。
解説本もありますので、読み解きはそちらをご覧いただけたらと思いますが、この本の魅力についてお伝えできたらと思います。
私はこの本の最大の魅力は、人が持ちうる問題解決能力の到達点の一例を示し、それがどういうものなのかは到達していない人にはわからなくても、それを皆が目指すことで実際に世界が良くなりそうに思えることだと思います。
問題解決を内面レベルの変容に求める「U理論」とは
U理論というのは、個人や組織・集団の変革のプロセス・実践方法を理論化したものです。
私がこの本と出会ったのは、山口周さんの「外資系コンサルが教える 読書を仕事につなげる技術」で紹介されていたことがきっかけです。
(今後改めて紹介したいと思いますが、読書本の中でも本書はビジネスに対する効用という点で最強だと思います)

同じ行動であっても、「行動の源」、意図が生まれる「内面の状況」により行動の結果は変わる。
複雑性の高い問題に対しては、その「内面の状態」のレベル、「意識の領域構造」を変容させていくことが必要である。
これは、その行動の意図が良いか、悪いかということではなく、どのレベルから意図が生じているかであると思われます。
本書においては、
①「私の中の私」という意識の領域構造から、
②「開かれた思考」を以て「それの中の私」へ
③「開かれた心」を以て「あなたの中の私」へ
④「開かれた意志」を以て「今の中の私」へと、
問題の複雑性に応じて意図の生まれるレベルに変容が求められると言います。
この人が嫌い、あの考え方は古い、といったような狭い自分自身のフィルターを通してではなく、
内面のレベルを高め、観察する物、相手、今現在、そして未来の大きな全体性の視点から物事を観て、感じることにより、異なる対応が生まれてきます。
「今の中の私」では、古い自己は喪失し、未来の可能性と結びつくことで未来から学習し(これを作中では「プレゼンシング」と呼びます)、これまでの自己では解決できなかった複雑性の高い問題への対処が可能となります。
問題を解決できない原因はその古い自己にあるため、その自己を捨てないといけないのです。
このプレゼンシングという概念を掴むことがまず難しく、体験したことのない人に理解することは果たして可能なのか、という気がします。
これは一種のフロー体験なのか?それとも全く別のものか?
この本はそのプロセス、そして実践方法に至るまでを詳細に記載されています。
「U理論/C・オットー・シャーマー」

この本を一度で読んで理解しきるのは至難の業と思います。
私はこれまで4~5回読んでますが、それでも完全に理解はできていません。
しかし、繰り返しゆっくりと読むことで少しずつ新たな視点が生まれてきているように思います。
少なくとも「日本の本社は分かってない」と習慣的に反発して、
OKY(お前が来てやってみろ)などと嘯いている場合ではないということは私にもわかってきました。
本書を読んで~私たちにプレゼンシングは実践可能なのか
私自身、ダウンローディング(習慣的な反応)で物事に対処することで
問題を解決することはおろか、悪化させた経験がありますし、同様の例を多く見てきました。
内面のレベルと外部の複雑性とのギャップが大きいとUの旅は反転してしまいます。
すなわち、内なる声に支配されること、観ないこと、感じないこと、自身の不在化により、
問題は情報操作、いじめ、崩壊へと悪化の一途を辿ります。
物事や特定の誰かを非難し続けている人があなたの周りにいるとします。
ほとんどの人や物事は100%間違っているとか、正しいというようなことはありません。
しかし、その人は内なる感情に支配され、ありのままを観ることを放棄してしているので、
もう悪いところしか観えていません。その時点で問題は解決不可能になってしまいます。
本書の中では、「観る」ことの重要性について以下の通り述べられています。
ここは結構痺れます。
これと逆のことをするリーダーのなんと多いことか。
情報の中心にいるということは、即ち組織の盲点そのものにいる、ということなのでしょう。
私は世の中の考えとは異なり、リーダーの第一の仕事が、ビジョン、目標、方向を示すことだとは思っていない。このような視野の狭い考え方がマイナス要因となる例は、あまりにも多い。リーダーが次の変化プログラムはこれだと自分の考えを説いて回るばかりで、組織は現実に起こっていることに触れられなくなるのだ。リーダーシップの第一の仕事は、個人と組織の「観る」能力を高めること、つまり人々が直面し、自ら役割を演じて作り出している現実を、深く注意を向ける能力を高めることだ。シャインと一緒に仕事をする経験を通じてこう信じるようになった。すなわち、リーダーのほんとうの仕事は、人びとが「観る」ことの力を発見することを助け、ともに「観る」ことである。
言葉ではなく、本当は何を言っていたか。
それが聴こえてこない限り、それはダウンローディングにすぎない。
自身の頭、心、意図をリスクにさらす。自らのドアを開け、古いものを捨て、新しいものとつながる。
そのことで初めて場は転換する可能性がある。
これは、言語バリアのある海外においても、すごく重要な視点ではないでしょうか。
私たち駐在員は、言葉が分からない中で相手が何を言っているか、にこだわりすぎる傾向があるように思うのです。
さて、この本が素晴らしいことは前提で、私としてはいくつかの疑問を持ちました。
未来から学習し、プレゼンシングの領域に至るためには、
自分とは何者で、自分が人生をかけてするべき仕事は何か、自分の使命は何か、といった、
「高次の自己」とある程度繋がりやすくなっていることが望ましいとされており、高度な自己認識が求められます。
この問いに真剣に取り組むこと自体がなかなかのハードルですが、このプレゼンシングを集団レベルにまで拡大するとなると、
その集団に対しても高度な自己認識を求めるということにもなるのではないでしょうか。
また、プレゼンシングの実践における最初の動きである「共始動」について、本書では以下のようにも語られています。
共始動を阻むものは、力(支配)、所有者意識、そしてお金への要求(または執着)だ。プロジェクトの多くが初期の段階で失敗する理由はまさにここにある。もしこの段階で計画が軌道からそれたら、その後の細部の設計に時間を費やすのは無駄なことだ。もはや遅すぎる。どんなプロジェクトでも最大の肝は、意図を明確に示し、正しい協働者を集められる最初の段階だ。我々の多くは恐らく、力や所有権やお金を手放さないようにと教えられ、それが社会常識になっている。だが、これら三つのものを手放す力と、自分のアイデアが及ぼす影響力との間には明確な正の相関があることに気づいている。手放した結果、私は最初の段階で諦めたもの以上に多くのものを取り戻した。
プレゼンシングは代償(捨てること)を求めています。
既に自己認識の高いエリート集団であるならともかく、
私のような「使命とか聞かれても困っちゃう」タイプのぬるい人間を含む集団に対しては
実践面でのハードルの高さを感じました。
この境地に至るにはまだまだ内面を磨き続けなければならないということなんでしょう。
しかし、本書は問題の解決の糸口を自身の内面レベルの向上に求めている点が最も素晴らしいと思います。
本書では内面レベルは高めることが出来ると言い、そのための実践法も記されています。
お互いの非難をしあう光景には私たちは日常生活でもすぐに出会うことが出来ますが、それで物事が解決した試しはありません。
仮に個人や集団でプレゼンシングに至る道のりは、非常に困難なものではあるとしても、
この本の実践に従い、
誰もが「私自身が私がケチをつけているこの状況を生んでいるシステムの一部であり、原因なのだ」と理解し、
誰もが内面レベルの向上に向けて取り組めば、
世界は今よりももっと素敵な場所になるでしょう。
600ページくらいある本ですので読むのに時間はかかりますが、何度も読み返す価値のある本だと思います。
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