2023年出版のAlbert Bourla氏(Pfizer CEO)の『Moonshot』を読みました。
2020–2022年にかけて、国家主導のプロジェクトとして扱われたCOVID-19ワクチン開発に関して、前例のないスピードで世に出した過程を、CEO自身の視点で振り返った一冊です。
本書の中心にあるのは、「危機下での意思決定」と「スピードの価値」であり、規制当局との関係、リスクを取る判断、そして結果としての成功が、明快なストーリーとして語られています。
そこで、考えてみたいのは「Moonshotのあと」です。
あの恐ろしいコロナ禍が起きたのが、たかだか数年前だとは思えない。
まさに隔世の感があります。
2025〜2026年にかけて、米国では
- ワクチン施策が抜本的に見直され
- ワクチン承認・評価基準も変化し
- その裏側で、政権による薬価抑制政策が進み
- 製薬企業とCEOが、より強く政治の文脈に巻き込まれる
という状況が同時進行で起きています。
この記事では、Moonshotを起点に、
Moonshot以降の世界を整理し、
Pfizerを一つの軸にしながら考えてみたいと思います。
ワクチン施策の大転換
● 2026年1月5日:CDCが小児ワクチンスケジュールを大幅改訂
2026年1月、米国のワクチン政策において極めて大きな転換が起きました。
CDC は、子どもの定期予防接種スケジュールを大幅に見直すと発表しました。
この改訂の核心は、
「すべての子どもに一律で推奨されるワクチンの範囲を大幅に見直し、一部ワクチンを高リスク層または共有意思決定へ移行」
● 普遍推奨から外れた主なワクチン(2026年1月時点)
- COVID-19
- インフルエンザ
- RSV
これらは今後、
- 全員一律の推奨ではなく
- 高リスク層中心、もしくは個別判断
という位置づけになりました。
● この変更の意味
CDCやHHSは「ワクチンを否定するものではない」と説明しています。
しかし実務的には、
- 医療現場での説明責任の増大
- 接種率の自然低下
- 国策的ワクチンという位置づけの後退
を意味します。
Moonshotが描いた「国家的ミッションとしてのワクチン」は、
制度上も心理的にも、完全に過去のものになったと言えます。
ワクチン政策は「例外」から「平時」へ移行した
COVIDワクチンは、パンデミック期には、
- 政府による大規模一括購入
- 接種の強い推奨
- 公衆衛生上の最優先課題
という、極めて例外的な扱いがなされていました。
しかし現在は、
- 季節性インフルエンザに近い位置づけ
- 高リスク層中心
- 接種は「選択」の領域へ
と移行しています。
これは政策的には「平時への回帰」です。
ワクチン承認・評価基準の変化とその背景
2025年以降、米国におけるワクチンの承認・評価基準そのものにも変化の兆しが見られています。
これは単に接種推奨の見直しだけでなく、ワクチンの承認プロセスや安全性評価基準に対する方針転換を示す動きとして注目されています。
具体的には、2025年5月にFDAのワクチン評価部門を率いる責任者らが、ワクチンの評価・承認基準についてより厳格な枠組みを導入する提案を公表しました。
この枠組みでは、従来よりも
- より大規模な臨床試験データの要求
- 年齢やリスク層ごとの有効性評価の明示
- 危険性と利益のバランスに関する明確な基準
を重視する方向性が打ち出されています。具体例として、COVID-19ワクチンの評価において、
- 65歳以上・高リスク者に対する継続的な接種を優先しつつ
- 健康な子どもや成人には追加のエビデンスを示す大規模試験を求める
という考え方が示されました。
この”より厳格な承認・評価基準”の提案は、FDA内部だけでなく関係する科学界・政策界でも大きな議論を呼んでいます。12人の元FDA委員長が、この方針転換が
- ワクチンのアクセスを遅らせる可能性
- 疫学的・公衆衛生的な影響への懸念
を理由に反対声明を出したという報道もあります。
一方で、こうした話は「ワクチンそのものを否定する」というより、より厳格で透明性のある科学的データの提示を求める流れとして解釈する向きもあり、評価は分かれています。
規制環境と政策の両方を再検討する文脈にあることは、
今回のワクチン政策転換を理解するうえで欠かせない前提だと言えます。
トランプ政権の動き
これらの大きな動きと並行して進んでいるのが、
政権による医薬品価格への強い関与です。
特にトランプ政権下では、
- 医薬品価格の高さ
が、明確に政治課題として扱われてきました。
この流れの中で打ち出されたのが、
MFN(Most Favored Nation:最恵国待遇)薬価政策です。
MFN政策の基本的な考え方は、
米国は世界で最も高い薬価を支払ってきた。
他の先進国での最低水準をベンチマークにすべきだ
というものです。
MFNとPfizerの交渉、CEOの判断
Pfizerは、このMFN政策に対して、
全面的な対立ではなく「交渉による対応」を選びました。
2025年には、米政府との関係において、
MFN政策を強く意識した価格調整や協力姿勢を示しており、
正面対立を避ける形での交渉が進められてきました。
Albert Bourla氏自身も、
「患者のアクセスと企業の持続可能性の両立」を意識した発言を行っており、
政権との正面衝突を避ける姿勢がうかがえます。
これはMoonshotのような「突破型」の判断ではなく、
平時のCEOとしてのバランス感覚が問われる局面だったと言えます。
他社の動き:業界全体が政治の中に組み込まれていく
この動きはPfizerだけではありません。
- AstraZeneca
- その他の大手製薬企業
も、米国投資・雇用・価格への姿勢を強調する声明を相次いで出しています。
政治化する製薬業と、CEOに求められる新しい役割
現在の政権やFDAの動きについては、
賛否両論が存在します。
- 公衆衛生の後退ではないか、という批判
- 薬価抑制がイノベーションを損なうのでは、という懸念
- 一方で、透明性や説明責任を求める声
こうした中で、製薬CEOは、
- 科学的リーダーであると同時に
- 政治的バランスを取り
- 社会に説明責任を果たす
という、難しいステージに立たされています。
Moonshotが描いたのは、
危機下での成功の物語でした。
しかし、Moonshot以降の政治的な世界で問われているのは、
より地味で、しかし本質的に難しい課題です。
その中でCEOに求められるのは、
政治的アクターとしての「納得させる力」のようにも感じられます。


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