【書評】「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論/デヴィッド グレーバー」

読書

最近読んで面白かった本であるデヴィッド・グレーバー氏の「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」の魅力について綴ります。

最大の魅力は私たちの仕事というものに対する客観的な視点を強化してくれるという点だと思います。

今の仕事の内容に不満を抱えている人には爽快で、今後のキャリアを考えている人にとっては参考になる内容であるとともに、管理職側にとっては自分がクソどうでもいい仕事を生み出していないかの振り返りに、現場側にとっては管理職側の謎の動きの背景にあるメカニズムについて学ぶきっかけになるのではないかと思います。

そして、私のように本社と海外子会社の間に立つ海外駐在員にとっても考えさせられるものがあるはずです。

概要~ブルシットジョブとは?

タイトルはポップですが、中身は濃厚です。読みやすい本ではありませんが、管理職、現場側の双方にとって示唆にあふれた内容と思います。

「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論/デヴィッド グレーバー」

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生産に関わる仕事はどんどん自動化されている。

しかし無意味なブルシットジョブが膨張するがゆえに私たちの労働時間は減っていない。

経済的には理屈に合わないこの現象はなぜ起きるのか?

筆者は以下のように語ります。

「レーガンとサッチャーの時代より世界を支配してきたネオリベラリズム(「自由市場」)のイデオロギーは、それが主張するものとは真逆のものであるという議論である。つまり、それは実際には、経済的プロジェクトに粉飾された政治的プロジェクトであるということだ。この結論にわたしが到達したのは、それこそが、権力にある人間たちが実際にどのようにふるまっているのかを説明できる、たったひとつの方法のようにみえたからであった。」

そもそも富と地位が経済性に基づき分配されてるんじゃなくて、政治性(実質作業よりも、上司への服従だったり、社内プレゼンが大事)により分配されてるよ、そもそも本当は今って資本主義じゃなくて封建制度なんじゃないかという主張です。

ここではブルシットジョブとは、以下のように定義されています。

「ブルシット・ジョブとは、被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている。」

そして、本の中でブルシット・ジョブは、以下の類型が紹介されます。

①取り巻き(フランキー):だれかを偉そうにみせたり、だれかに偉そうな気分を味わわせるという、ただそれだけのために(あるいはそれを主な理由として)存在している仕事

②脅し屋(グーン):他人を操ろうとしたり脅しをかけるといった脅迫的な要素を持っている仕事

③尻ぬぐい(ダクトテーパー):組織に欠陥が存在しているために生ずる問題を解決するための仕事

④書類穴埋め人(ボックスティッカー):ある組織が実際にはやっていないことをやっていると主張できるようにすることが主要ないし唯一の存在理由であるような仕事

⑤タスクマスター:もっぱら他人への仕事の割り当てだけからなる仕事、他者のなすべきブルシットな業務を作り出す仕事

この辺りの戯画的なセンスがとても良いと思いました。

誰もがここを読んで、あの人の仕事はまさにこれだな、とか、これはまさに自分が今してることじゃないか、と思わせてくれます。

意味はなくとも大した仕事をせずにお金がもらえるならラッキーじゃないか、という声もあるはずですが、

筆者は、それは「わたしがわたしであるということに対する直接攻撃」であり、精神的な暴力性を伴うものだと言います。

世界に対する影響力を持たないというのは辛いことです。

仕事を通じて影響力を感じたい、つながりたいと思う人は多いはずです。

それなのに、自分の仕事が、組織に欠陥があり、それを原状復帰させるためだけに存在したり、

誰かを偉そうな気分にさせたりするために存在したり、

他人への仕事を割り当てるためだけに存在していたらどうでしょう。

自分の仕事が明日なくなっても社会は困らないと思うと、悲しくなります。

しかし、私たちはそれを知ったとて、それを声にあげたりすることはできません。

倒錯の状況をよく示していると思う、本作中の私のお気に入りの一節は以下の通りです。

問題なのは、企業的な環境においては、あたらしい奉公人を召し抱え、もっともらしい肩書(「玄関高級執事長」とか)をでっちあげ、お前の本当の仕事は庭師が酔っぱらっているあいだにかわりを務めることなのだと告げることができない、ということである。あなたは、ドアノブ磨きとは実際にはなにをするものなのかという、手の込んだ偽の文書を考案しなくてはならないし、あらたにやってきた庭師に対して、自分が王国で最高のドアノブ磨きであるかのようなふりをする方法を指導しなければならないし、したがって、定期的な業績評価のベースとして、その〔ドアノブ磨きについての〕 職務記述書を使用しなければならないのだ。

冗談みたいですが、こういう状況って確かにありますよね。

本書では、後半につれブルシットジョブ膨張のメカニズムに対してどんどん分析を深めていきます。

感想~それで私たちはどう働くのか?

結局、私たちのような駐在員の仕事だって程度差あれど、ある程度はブルシットな訳です。

増え続ける無目的な会議、偉い人たちに偉く感じてもらうためだけの仕事や誰かの尻ぬぐいなんて、

心当たりありありな訳です。

ブルシットジョブの類型である

①(取り巻き)〜⑤(タスクマスター)を兼務してるように感じる瞬間さえある訳です。

海外駐在員の主な仕事は、現地社員の管理、本社と海外子会社との間のリエゾン(連絡係)、本社へのレポート作成、という人もいると思います。

しかし、社会に本当に価値を生み出しているのか、単に社内政治的なクソどうしてもいい仕事を増やしてるだけではないかという視点は常に必要ではないかと感じました。

価値を生み出すのは現場で実際に手を動かす人たちであり、社内向けのレポートを何百枚作ったところで社会的には1円の価値にもなりません。

そんなもん意味ないからやらねーよ!というとロックですが、あくまで上位者にとっては意味があるからやらせているのであって、社会的に意味がない!と吠えるのはなんだかお門違いのようにも思います。対価を払っているのは会社であり、上位者です。

これらは駐在員でなくてもよくある話だと思います。

残念な結論として、ブルシットジョブから抜け出すためには、その仕事を辞めるか、その割合を減らすか、その組織内でうまく立ち回り権力者、成功者になるしかないのではないかと思いました。

権力者になると、実際は自身は何の益もなしていない、何も物質的な生産はしていないにも関わらず、自身が生み出す取り巻きや実際に手を動かす人たちに対する影響力により、それに気づかずにいられるというわけです。

ただ、私は統合的・横断的な視野を持って、最適な判断を下す人としてのマネジメント(管理職)は必要だと考えています。

それが膨張し、無駄な階層を作りだすことによりブルシットになるだけです。

もう一つ、現場側に対する示唆としては、上位者は多くが経済だけで動いているわけではなく、政治で動いている。そのため、効率性や生産性に必ずしも関心を寄せないということにも注意が必要です。

上司に対して、なんでこうしないの?効率的、生産的になるじゃないか?と言っても通じない。

彼らとはやってるゲームが違うということに注意したほうがよいでしょう。

社会はどんどん「物を実際に製造・運搬・保全する」という仕事から「情報関連の仕事」に焦点が移りました。

でも実際になくなって社会的に困るのは前者の方です。

しかし、高給で社会的に誰もが羨むキャリアとされているのは多くは後者の仕事であり、

情報を所有、分配する仕事に関わっている人たちは、

このブルシット量産の罠に陥る可能性が大いにあると思います。

自分がいることで(自分の稼ぎ以上に)社会に+があるのか、それがマイナスなら社内で偉くて自己認識がどうであろうがブルシットである、と思いました。

私たちの上昇志向は留まることを知りません。

でも少し冷めた見方をすると、どれだけ出世をしたとしてもブルシットはなくなることはなく(前述の通り自分で気づかなくなるということはありえます)、なんだか終わりのない戦いなんじゃないかという気がしますね。

私たちを囲んでいるこの奇妙な封建制を終わらせるのは、個人レベルでは難しいですが、

自分自身がどのように生き、働くかは私たちが決めることができます。

ブルシットをこなしにこなしたその先にあるのが、ブルシットが単に見えなくなるという場所だったとしたら…

本書には、社会的利益が+の仕事、-の仕事の例も書かれているので興味のある方は読んでみてください。

かなり読み応えのある本です。

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